●対談前説/植田 耕二(トラモンド社論説主幹)
先々月、対談企画を立て日の丸交通本社にうかがった際、富田氏は雑談の後、東旅協会長も全乗連会長も、総会の承認をまだ受けていないこと。業界紙とのインタビューも一切断っていることを理由に、対談をお断りになった。
大阪から対談に臨んだ記者の早合点が生んだ行き違いだが、全乗連会長というお立場を考慮して対談企画はキャンセル。記者は大阪に引き上げた。今回は全乗連総会の承認という正式な手続きを得て選出された後だったこともあり、終始気楽な対談となった。富田氏は謙虚なお人柄である。「あなたには親子二代でお世話になります。なにとぞよろしく願います」という話から始まった。
こちらこそ、二代にわたって親しくお付き合いしていただくことになった。先代の富田金重社長には、本紙が東京支局を設置した際、東京でごちそうになった後、軽井沢の別荘にご招待を受け、「2、3日泊まって遊んでいきなさいよ」と再度ごちそうになったが、当時は支局設置が課題だったこともあり、早々に東京に舞い戻った。
先代とは富本憲吉の焼き物をめぐってよく話し合った。そのころ柳宗悦の門下生たちの焼き物を集めていた記者は、富田氏の収集品を「このお皿は2500万円くらい」「この唐三彩は贋物です」といったところ、みな当たったため「あなたは、美術商でもやっていけますよ」と言われ、呵々(かか)大笑した思い出を持つ。光陰矢のごとし。
先々月、対談企画を立て日の丸交通本社にうかがった際、富田氏は雑談の後、東旅協会長も全乗連会長も、総会の承認をまだ受けていないこと。業界紙とのインタビューも一切断っていることを理由に、対談をお断りになった。
大阪から対談に臨んだ記者の早合点が生んだ行き違いだが、全乗連会長というお立場を考慮して対談企画はキャンセル。記者は大阪に引き上げた。今回は全乗連総会の承認という正式な手続きを得て選出された後だったこともあり、終始気楽な対談となった。富田氏は謙虚なお人柄である。「あなたには親子二代でお世話になります。なにとぞよろしく願います」という話から始まった。
こちらこそ、二代にわたって親しくお付き合いしていただくことになった。先代の富田金重社長には、本紙が東京支局を設置した際、東京でごちそうになった後、軽井沢の別荘にご招待を受け、「2、3日泊まって遊んでいきなさいよ」と再度ごちそうになったが、当時は支局設置が課題だったこともあり、早々に東京に舞い戻った。
先代とは富本憲吉の焼き物をめぐってよく話し合った。そのころ柳宗悦の門下生たちの焼き物を集めていた記者は、富田氏の収集品を「このお皿は2500万円くらい」「この唐三彩は贋物です」といったところ、みな当たったため「あなたは、美術商でもやっていけますよ」と言われ、呵々(かか)大笑した思い出を持つ。光陰矢のごとし。
タイミングが合っただけ
――全乗連、東旅協の会長は東京4大手の持ち回りでした。戦後60年を経過して初めて4大手の持ち回りに終止符が打たれたのは画期的なことですが、どういう経緯で引き受けられたのですか。
富田 時期的にタイミングが合っただけのことです。人材がいないわけじゃなく、4大手の中にも人材がいらっしゃるわけですが、ちょうど巡り合わせや、年齢、役回りだとかがうまく合ったんじゃないかなという気がします。それでも年齢がいき過ぎてるかなとは思いますが。
そう適齢とは言えませんが、新倉(尚文)会長も叙勲を受けてバトンタッチしたいという時に、ちょうどいいくらいの人がいなかったということじゃないかと思います。
当初は、川鍋(達朗)氏(元日本交通会長)が会長職を引き継ぐはずだった。新倉氏も十何年言ってきてましたし、私もそのつもりでした。川鍋氏が亡くなられたので、どなたか他の人を指名されるのだろうと思っていました。3月くらいにお話があり、急なことでびっくりしました。
そう適齢とは言えませんが、新倉(尚文)会長も叙勲を受けてバトンタッチしたいという時に、ちょうどいいくらいの人がいなかったということじゃないかと思います。
当初は、川鍋(達朗)氏(元日本交通会長)が会長職を引き継ぐはずだった。新倉氏も十何年言ってきてましたし、私もそのつもりでした。川鍋氏が亡くなられたので、どなたか他の人を指名されるのだろうと思っていました。3月くらいにお話があり、急なことでびっくりしました。
――故川鍋秋蔵氏が会長を辞める段階で、副会長の中では宮本市郎氏(東都自動車交通会長)が後任への意欲をみせていました。その後、新倉氏の大久保彦左衛門的な役回りを演じ、東旅協、全乗連ともに、新倉会長再選を後押ししていましたから、あなたの会長選任に異論は述べませんでしたか。
富田 宮本氏とは、直接お話する機会がなかったものですから分かりません。あの方も年齢が年齢ですし、年齢がお若ければ当然、お話がいったと思います。それだけの功績があった方です。私の会長選任には途中いろいろあったでしょうが、最後は気持ちよく賛成していただきました。
――全乗連・新倉内閣で副会長を務められて何年ですか。
富田 川村(巌)氏(元宮園自動車会長)が亡くなってからですから、ちょうど2年です。割と短いです。東旅協では長いですが。全乗連では委員長を長くやりましたが。
副会長は当初、宮本氏と高木(正延)氏(イースタンモータース社長)でした。高木氏の後、川鍋(達朗)氏がなり、川鍋氏が亡くなって、川村氏が副会長になりました。
川村氏は就任後1カ月くらいで亡くなられたので、次に私がなりました。残念な方を亡くしました。本来なら川村氏が会長をやるべきだったのかもしれません。人柄のいい方でしたから。
川村氏は就任後1カ月くらいで亡くなられたので、次に私がなりました。残念な方を亡くしました。本来なら川村氏が会長をやるべきだったのかもしれません。人柄のいい方でしたから。


