決して持ち回りではない
――半世紀近く執行部におられて、初めて東京4大手以外から日の丸交通の富田昌孝社長が会長になられました。画期的なことだと思いますが、富田氏に期待されるところはどこにありますか。
新倉 4社からずっと続いて協会長が出ていたことを、皆さん方は持ち回りという表現を使われるけども決して持ち回りじゃなかったんですよ。
というのは、当時は今に比べると4社はやっぱり力というか、社内の管理体制というか、きちんとできてたんですよ。その後、バブル経済の中で海外投資とか、余計なところへ金を使ったために、昔の4社とは変わってしまった。
結局、あの時に、金融機関、ことに三和、住友といった関西系の銀行ですが「お金の心配は絶対に掛けませんから、こういうプロジェクトがありますが、やりませんか」と企業に話を持ち込んできた。ウチにも持ち込まれました。
あの当時は、そういうことをやらなきゃバカみたいに思われた時代でした。こんなことを言うと手前みそみたいな話になるので、誤解しないでいただきたいのですが、決してそういう意味で言うんじゃありません。ただ、「ウチは一切そういうことはやりませんよ」とお断りした。
4社の中で国際自動車、日本交通が、そういうところへカネをつぎ込んだからおかしくなったんですよ。それから、4社が昔のようにしっかりしたところがなくなりました。
そういう中でも、当時の日本交通の川鍋達朗社長に「わたしの後をお願いする」と申し上げておりました。それでね、2年ごとに彼とひざ詰めで話をして「じゃあ今度は」ということで、晩年は彼もそのつもりになったんですよ。ところが、ご病気になられてしまった。最初の手術は成功したんでよかったなあ、と思ったんだけれども、2度目の手術で声帯を取らなければならなくなった。「これはいけないな」と思った。まあ後継者候補としてほかにもいますよ。国際さんは別としても。いまの帝都の若槻治彦社長は東京大学を卒業されて、興銀から北総鉄道に出て、それから帝都にいらした。人間的にも立派な方。ただ、タクシー業界に首を突っ込まれてあまりご経験がない。「いまはお願いできないかなあ」と。
現状ではやはり東京の会長となると、全国もという下馬評が出てきます。そうなると、いまの東旅協の役員の中で誰かとなると、やっぱり準大手まで候補を広げざるを得ない。そうなると、富田氏しかいないでしょ、いまは。
そこでわたしは、富田、三浦(宏喜)、藤本(国男)という東京の有力3副会長にちょっと集まってもらって「オレ、今度、辞める。ついては意見を聴きたい」ということでお話ししました。でも、3人から意見は出てこない。わたしの方から「わたしとしては富田さんに後をお願いしたいと思うんだけれども」と申し上げ「そうなったときには、この3人で全面的に協力してもらわないと困りますよ」ということで、まあ富田氏にお願いしたわけですよ。ほかの2人もその通りだと。
もう1つは、無線。無線タクシーもタクシーですから、やはり全乗連のラインが中心だとはいえ、4つの団体の代表をやるのは大変だから。わたしは割に苦労しなかった、というより苦労に感じなかったという面もあるでしょう。しかし、わたしの後、代わってすぐ4つともというと大変です。東旅協の会長は、どうしても全乗連という舞台が出てくる。無線の方は、これは社団法人としても総務省と国土交通省との共管ですから、ちょっと違う。つまりこれは何かというと、無線周波数の許認可のことですからね。じゃあここで2つに分けた方がいいなあ、と。先のことは分かりませんよ。
そこで、無線の方は藤本氏にお願いしようと。三浦氏はどっちかといえば、富田氏をサポートして全乗連でやっていただくべきだろうということを、3人に話し、それで2つに分けたんですよ。
一番危ぐしたのは、富田氏は代わったばかりだから、いろいろ重要な会議もあるし、出なきゃならならないところもあるし、それで嫌気が差されちゃうと困るな、と思うこともありました。ただ、富田氏は、会社も4社に続く規模をお持ちということで、お願いしたわけですよ。
というのは、当時は今に比べると4社はやっぱり力というか、社内の管理体制というか、きちんとできてたんですよ。その後、バブル経済の中で海外投資とか、余計なところへ金を使ったために、昔の4社とは変わってしまった。
結局、あの時に、金融機関、ことに三和、住友といった関西系の銀行ですが「お金の心配は絶対に掛けませんから、こういうプロジェクトがありますが、やりませんか」と企業に話を持ち込んできた。ウチにも持ち込まれました。
あの当時は、そういうことをやらなきゃバカみたいに思われた時代でした。こんなことを言うと手前みそみたいな話になるので、誤解しないでいただきたいのですが、決してそういう意味で言うんじゃありません。ただ、「ウチは一切そういうことはやりませんよ」とお断りした。
4社の中で国際自動車、日本交通が、そういうところへカネをつぎ込んだからおかしくなったんですよ。それから、4社が昔のようにしっかりしたところがなくなりました。
そういう中でも、当時の日本交通の川鍋達朗社長に「わたしの後をお願いする」と申し上げておりました。それでね、2年ごとに彼とひざ詰めで話をして「じゃあ今度は」ということで、晩年は彼もそのつもりになったんですよ。ところが、ご病気になられてしまった。最初の手術は成功したんでよかったなあ、と思ったんだけれども、2度目の手術で声帯を取らなければならなくなった。「これはいけないな」と思った。まあ後継者候補としてほかにもいますよ。国際さんは別としても。いまの帝都の若槻治彦社長は東京大学を卒業されて、興銀から北総鉄道に出て、それから帝都にいらした。人間的にも立派な方。ただ、タクシー業界に首を突っ込まれてあまりご経験がない。「いまはお願いできないかなあ」と。
現状ではやはり東京の会長となると、全国もという下馬評が出てきます。そうなると、いまの東旅協の役員の中で誰かとなると、やっぱり準大手まで候補を広げざるを得ない。そうなると、富田氏しかいないでしょ、いまは。
そこでわたしは、富田、三浦(宏喜)、藤本(国男)という東京の有力3副会長にちょっと集まってもらって「オレ、今度、辞める。ついては意見を聴きたい」ということでお話ししました。でも、3人から意見は出てこない。わたしの方から「わたしとしては富田さんに後をお願いしたいと思うんだけれども」と申し上げ「そうなったときには、この3人で全面的に協力してもらわないと困りますよ」ということで、まあ富田氏にお願いしたわけですよ。ほかの2人もその通りだと。
もう1つは、無線。無線タクシーもタクシーですから、やはり全乗連のラインが中心だとはいえ、4つの団体の代表をやるのは大変だから。わたしは割に苦労しなかった、というより苦労に感じなかったという面もあるでしょう。しかし、わたしの後、代わってすぐ4つともというと大変です。東旅協の会長は、どうしても全乗連という舞台が出てくる。無線の方は、これは社団法人としても総務省と国土交通省との共管ですから、ちょっと違う。つまりこれは何かというと、無線周波数の許認可のことですからね。じゃあここで2つに分けた方がいいなあ、と。先のことは分かりませんよ。
そこで、無線の方は藤本氏にお願いしようと。三浦氏はどっちかといえば、富田氏をサポートして全乗連でやっていただくべきだろうということを、3人に話し、それで2つに分けたんですよ。
一番危ぐしたのは、富田氏は代わったばかりだから、いろいろ重要な会議もあるし、出なきゃならならないところもあるし、それで嫌気が差されちゃうと困るな、と思うこともありました。ただ、富田氏は、会社も4社に続く規模をお持ちということで、お願いしたわけですよ。


